岐阜聖徳学園大学の学生からの評判

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岐阜聖徳学園大学の評判(学生)

学生の声

加藤 塁さん

教育学部学校教育課程 理科専修4年(取材2023年)
あこがれで目指した教師を、人生の目標に高めてくれました。
「先生もいいかも」という漠然とした思いを、「絶対に小学校の教員になる!」という目標に高めることができた、充実し4年間でした。「子どもが好きだし、理科の先生なんてどうだろう」と、軽い気持ちで入学したら、コロナ禍でリモート授業。しかし、これが私には逆に幸運でした。「教育とは何かという根本を学び、たっぷりある時間の中で「本当に自分にこの仕事は務まるのか?」と繰り返し問いかけることで、「やりたい」という気持ちが徐々に固まっていきました。通授業になると、想像以上に頼れる仲間と先生たちが待ってました。「子どもたちを笑顔にできる存在になりたい」という夢を抱き、小学校教員として活躍したいと思います。

林 すみれさん

教育学部学校教育課程 特別支援専修4年(取材2023年)
子どもたちにひたすら向き合う大切さを学びました。
小学6年生のとき、騒がしくて落ち着きのないクラスの児童全員に粘り強く平等に接してくれた担任の先生が、あこがれでした。両親が教員だったこともあり、「私も子どもたちの心に残る先生になりたい」と決心。できることなら、ただ勉強を教えるのでなく、一人ひとりの子どもにふさわしい支え方を学びたいと選んだのが、特別支援教育専修です。けれど授業や実習で、現実は簡単ではないことを思い知りました。インターンシップで赴いた小学4年生のクラスでは、授業中に紙飛行機を飛ばす子や大げんかを始める子がいて、途方に暮れたことも。そんなすべての子に、根気よくどこまでも向き合える小学校教師を目指して、学び続けたいと思います。

後藤 信之介さん

人文学部(外国語学部外国語学科)4年(取材2023年)
バットをペンに替えここでしかできない成長を実現!
小学生から野球ひと筋。将来は子どもたちに野球の指導をしたいと考えていたので、「高いレベルで野球ができて、教員も目指せる大学」として、この大学を選びました。しかし1年次にケガをして、それでも野球に携わっていたいと、学生コーチに就任。そのとき、「野球をしていれば良い時代は終った。自分から野球を取ったらどうなる?」と真剣に考えました。次にすべきことは、勉強しかない。偶然TOEIC®に心な友人がおり、「勉強の仕方を教えてほしい」とお願いすると、先輩やゼミの先生など、次々と教えてくれる人が現れました。ところが、人生最大の勉強をして自信満々で受検した結果が、前回とまったく同じ690点。「自分に勉強は無理だ」と落ち込んだ私を、再び友人たちが応援してくれて、以来12回TOEIC®を受け、最高は880点。バットをペンに持ち替えて、もはやTOEIC®は私にとってスポーツ。本学は「入学して終わり」という大学でなく、成長しようとする人を全力で支えてくれます。将来、自分の子どもを学ばせたいと思うくらいに、私はこの大学を信頼し、愛しています。

片山 桐子さん

人文学部(外国語学部外国語学科)4年(取材2023年)
世界トップ校への留学とTOEIC®940点達成で憧れの航空業界へ!
昔から英語は好きでしたが、英語力にはまったく自信がありませんでした。でも大学のTOEIC®の授業で「誰でも高得点を目指せる」と知り、400点台から挑戦を開始。ところが600点台で壁にぶつかり、休みなく猛勉強しても成果が出ません。困惑して先生に相談すると、「勉強は量でなく質。自分の弱点を客観視しなさい」と助言されました。おかげ勉強のコツがつかめてスランプを脱出でき、その勢いで学内派遣枠1名のロンドン大学留学に挑戦します。想像以上に高いハードルでしたが、なんとか試験を突破できました。しかし、本当に大変だったのは留学した後です。
世界中から集まった学生とハイレベルな授業を受け、特に英語での論文執筆には苦しみました。乗り越えられたのは、文化の異なる友人たちが思いもしない観点から私をほめ、「トウコならできる!」と励ましてくれたおかげです。自分の長所を見つめ直し、自信を手にしたことで、帰国後の就職活動にも胸を張って取り組め、夢だった航空業界に内定できました。TOEIC®も940点を獲得。挑戦の大切さを、この大学が教えてくれました。

伊藤 梨々花さん

経済情報学部経済情報学科2年(取材2022年)
将来の起業を目指し、講義とアルバイトから多くを学ぶ日々です。
大学進学にあたり、将来自分はどんな仕事をしたいのか考えました。そこで頭に浮かんだのが、「地方創生ビジネス」というキーワードです。生まれ育った岐阜を活性化するために、いつか起業したい。それには経済や経営を学ばなければと、岐阜聖徳学園大学を選びました。同じ頃、テレビでドローンの番組を見て、「ビジネスに使えるかも」と調べ、県内にドローンの会社を発見。入学直後から、その会社でアルバイトを始めました。当時会社は設立2年目で、営業、接客、企画書づくりなど、さまざまな業務に携わらせてもらえました。ドローンの操縦も習得し、スクールで講義や技術指導も担当。会社のマーケティングを考える際には、大学で学んだ「人間心理と経済の関係」や市場分析の知識が役に立ちました。「教科書に書いてあったのは、こういうことか」と、現場経験を通じて再確認できたことも数多く、大学での学びとアルバイトの相乗効果を実感しています。ドローンと農業を組み合わせたビジネスで起業する日を夢見て、日々経験値を高めています。

小池 志親さん

経済情報学部経済情報学科4年
資格への挑戦で少しずつ自信を獲得。次は宅建に挑みます。
周囲に流されやすく、目標を持てない自分を変えるきっかけとなったのが、資格への挑戦でした。「やりたいことがないから、逆にあれこれ試してみよう」と、興味のあった世界遺産検定2級を受検。それに合格したことで「やればできる」という自信が芽生えました。続いて授業で興味を持った日商簿記3級に挑み、これも合格。このとき、資格取得の後押しをしてくれる「資格検定講座」があることを知り、活用し始めます。2年になって、秘書検定2級に挑戦。「絶対に落ちた」と思いましたが合格通知が届き、準備は裏切らないのだと知りました。挑戦する時間が豊富にあるのが、大学生の特権。3年では難関の宅地建物取引主任者資格に挑む予定です。

川口 心愛さん

看護学部看護学科 4年(取材2023年)
自分で考え、意見を言う。引っ込み思案の自分から大きく成長できました。
今も現役の看護師として元気に働く祖母に憧れ、同じ道を選びました。祖母の話から勉強の大変さは覚悟していましたが、実際の看護は「患者さんのベッドサイドでしかわからない個別性だらけ」だと感じています。実習で接した多くの患者さんの中にも、教科書どおりの人は一人もいませんでした。そこでもう一度教科書に戻ってみると、「あの患者さんの状態は、こういうことだったのか」と気づくことがたくさんありました。臨床から学び、基礎を振り返る。この繰り返しが大切だと実感しています。実習では、患者さんに合わせた看護計画を立てます。自分の意見を述べるのが苦手だった私は、指導役の看護師さんから「なぜそういう計画にしたの?」とたずねられても、最初はうまく説明できませんでした。しかし現実と振り返りを重ねることで、自分がどう考えたのか、思考の経緯を説明できるようになりました。すると自分の未熟な点が明確になり、より良い看護を実現できる自信につながりました。情報収集力の高い看護師を目指してさらに学習を続け、認定看護師や専門看護師など、高度な資格にも挑戦したいと考えています。

湯本 惇也さん

看護学部看護学科 4年
4年間をとおして救命救命の看護を追究し続けた強み
救命救急に携わる看護師をめざし、救命救急や災害医療に関する科目を積極的に選択履修しました。実習で入院中の患者さんを担当したときは、会話ができる看護に興味を覚えたこともありました。救急外来の患者さんの多くは、コミュニケーションがとれない様態だったからです。それでも初志を貫徹。高度救命救急の先端といわれる病院にインターンシップを申し込み、全国から集まった学生に刺激を受け、卒業研究では救急外科や終末期の患者さんの、家族の精神状態を取りあげました。こうしてひとつの分野を4年間追究したことを強みに、就職後は患者さんの思いを先取りする看護を実践します。