スタイリスト
“松竹衣裳”
役柄のイメージに合わせた服を集めることが基本
映画やドラマの登場人物によりリアリティーを出すには、その役柄が着る服によるところも多い。そんな重要なポジションに就くのが、「松竹衣裳」でスタイリストとして活躍する岡田敦之さん。「映画やドラマには作品の監督がいます。雑誌のスタイリストのように流行のものを集めるのではなく、監督がイメージする服を集めていき、役の設定にあうことが基本です」。衣装合わせのときは1つのコーディネートを決めるのに、10パターン近く準備することもあり、集める服の量は膨大。「自分でも台本を読んで、その役柄にあった服を提案します。監督のイメージの中に、自分が思うものをうまく入れていければいいですね」
歌舞伎の配属で学んだこと
現在は、映画を中心とした仕事が多い岡田さん。しかし、入社後まもなく配属されたのは歌舞伎の世界だった。「新入社員はほとんど歌舞伎に配属されます。最初はドラマの仕事に就いたのですが、すぐに異動に。1年半くらい舞台の仕事しましたが着物の知識もなく、大変でした。でも先輩たちに恵まれ、いろいろと教えてもらいなんとか形になってきました。歌舞伎座を始めとした舞台の現場にも入り、着付けができるようになったのは、大きかったですね」。その後、映像の世界への興味が強かった岡田さんは再び、ドラマ・映画部門へ異動に。しばらくアシスタントとして活動し、いよいよチーフとして独り立ちすることになる。
映画出演者、全員分の衣装を集めて
スタイリストチーフとしてデビューした作品は映画「青の炎」。蜷川幸雄初監督としても話題となった作品だ。「この作品は、監督がリアルを求めていました。そのため主演の衣装はもちろん、彼らが通う学校のクラスメイトの制服まで担当しました」。そのときはアシスタントもなしで、一人で手掛けたというから驚きだ。それからは数々の人気映画を手掛けることになる。「撮影は、1シーンから順番に撮っていくのではなく、あちらこちらにシーンが飛びます。そのため、徐々に服が汚れていく構成ならばいいけれど、シーンが前に戻るときもあるから、そんなときは同じ服を何枚か用意することも。そこが普通のスタイリストとは違いますね」
辛くても、やりがいのある現場の雰囲気
映画の規模が大きくなるほど、撮影の拘束時間が長くなっていくという。「同じ作品を半年近く手掛けることもあります。早朝に起きて、服を着せて。地方のロケに行きっぱなしもあれば、スタジオに数ヶ月缶詰めなときもある。朝早くて夜は遅いけれど、作品ごとに違う現場で、多くのスタッフと知り合えることは、楽しくて新鮮」。服だけを集めてきれいに撮るだけじゃないことが、またおもしろいという。「服が合わないからと、後ろをピンでつまんで調整するなんてできない。人が着て動くし、360度撮られるし。やりがいがあるのは、ある面そこかもしれないですね」。石原裕次郎の半生を描いたドラマ「弟」を手掛けたときは、時代背景のリサーチから資料を集めまで、まるで昭和史を見るような感じだったという。「さすがに辛すぎて、辞めたくなりました。笑。でも終わったとき“よくやった”と自分自身で思ったら、次の仕事を始めていました」
夢を叶えて、次へのステップへ
高校生のときからドラマなどを見ては、最後のテロップに流れる衣装さんやスタイリストさんの名前をメモっていたという。その後、スタイリスト科へ入学し、卒業と同時に「松竹衣裳」へ入社した。「スタイリスト科は個性の強い人の集まりで、仲間を作りにいく感じで通っていました。今でも誰かの誕生日ともなると連絡が入ります」。そんな学生時代からの夢を叶えた今の仕事で、今後の目標を尋ねると「自分が台本を読んで思ったイメージ通りの衣装が提案できるといいですね。日本でも名のある衣装デザイナーがいますが、自分もいつかはそういった立場になれればと思っています」
※この取材内容は2009年7月時点のものです。
【参照元】文化服装学院HP Next
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