1999年
バイヤー/デザイナー
ELIMINATOR/KUBRICK
20代で築いたものが開花し始める
代官山のショップ「ELIMINATOR」のバイヤー・野澤圭介さんは、2011年秋冬にメンズブランド“KUBRICK”を立ち上げ、現在同ブランドのデザイナーとしても活動を開始したばかり。20代で学んだことや温め続けた服に対する想いが、30代になった今、ブランドを立ち上げる糧となった。立ち上げに際して、ここ数年の経済的な社会背景を心配し、友人から様々な忠告もあったが「逆にこういう時代だからこそやってみることで可能性というより、価値として残すことができるのではないかと思いスタートしました」と話す。
古着の世界で築いた礎
進学して更に深い勉強をするよりも、早く社会に出て働きたいという気持ちが強かった野澤さん。文化卒業後は学生の頃から興味があった古着の世界へ進み、老舗である原宿の「VOICE(ヴォイス)」でアルバイトとして働くことに。「その時は古着から感じ取れるセオリーやバックグラウンドにすごく興味がありました」。「VOICE」では、とにかく先輩から仕事の知識やノウハウを学び、2年目の21歳の頃に初めて買い付けに同行。当時を振り返り「本当に運が良かった」と話す。ロサンゼルスに住んでいる社長のもとへ行き、社長が自ら開拓した古着を買い付けるネットワークやコネクションに触れ、現場の空気やビジネスの流れを勉強すると同時に、古着1点1点に対してもっと奥深い視点の持ち方も学んだ。
本格的にバイヤーとしてパリへ
約3年古着屋でさまざまな経験を積んだあと、現在のショップに入るきっかけをくれたのは古着屋でお世話になった先輩だった。当時オープンしたてでいろいろなイベントを企画していて、ヘルプで働くようになったのが始まり。その後、正式にショップスタッフになる。少数精鋭の会社のため、ショップスタッフといってもプラスアルファで仕事を任せてもらえたことが成長につながったという。野澤さんの場合はショップスタッフとバイヤーを兼任。ある日、突然社長からの「パスポート持っているか?」の一声でパリコレクション期間中にバイイングへ飛び、本格的にバイヤー職に携わることになる。今では毎シーズン一人でパリに買い付けに行くまで任されるようになった。当時社長に教えてもらった「とにかくクリエーションに対する嗅覚を鋭く、アンテナを高く、いろんな角度からものを見るように」という感覚的なことは今でも仕事をしていく上での教訓になっている。
バイヤーについたからこそ見えてきたデザイナーへの道
毎シーズンファッションのスタート現場に出向き、新鮮な刺激を肌で感じることができるバイヤーという仕事は、世界中で活躍しているデザイナー達の作品を自分の目で見て直接話を聞ける立場にいる。彼らのクリエーションに対するこだわりや、自己表現に対するスタンスに触れているうちに野澤さんの中にも「何か作りたい!」という衝動が起きた。「バイヤーがバイイングをしてショップを作り上げていくのと、デザイナーがデザインを考えコレクションを作っていくのはとてもよく似ていると思います」。2つの職種の「作り上げる」という共通した部分が野澤さんを大きく動かした。自分がやりたい事を社長に言うと、「やりたいことがあるならやってみたらいい」と後押しされた。最初はアクセサリーやシューズのデザインをする活動から始まり、先シーズンは初めて自身の力だけでコレクションを発表するに至った。
一段一段、階段を上っていくように
今は、「ELIMINATOR」のバイヤーの仕事と、“KUBRICK”のデザイナーの仕事でめまぐるしく過ぎていく毎日で、休日もなければ昼も夜も関係ない生活が続いている。しかし辛いと感じることはないそう。先シーズン初の展示会を開いてみて次への課題が見つかった。「次への課題」というものは続けていく上で必ず沸いてくるものということにも気がついた。そして「そこをクリアしないと自分の中で納得できないし、クリアできないまま止めるわけにいかない。まだまだやらなければいけないという気持ちのほうが今は大きいです」。
【参照元】文化服装学院HP Next