2003年
スタイリスト
思わずとっておきたくなるようなスタイリングを心掛けて
ファッション雑誌、書籍、広告、音楽(CD・PV)から、タレントやファッションショーに至るまで、様々な媒体からスタイリングのオファーがくる、人気スタイリストの相澤さん。元気な笑顔と"ミキティ"の愛称で、仕事仲間からは絶大な支持を得ている。スタイリングで心掛けていることを聞くと「色使いは特徴的だと思います。雑誌ならば、私のページを見て元気になったり、切り抜いて貼っておきたくなるようなパンチのあるページを作りたい。ちょっと笑ってもらえるような世界観も好きです」。また、意外にもスタイリングは小物から入ることが多いそう。リサーチもまずは小物というのもおもしろい。今回の取材場所となった「パニックルーム」と呼んでいる相澤さんのアトリエには、膨大な数の小物のコレクション&服があふれていた。
幼い頃から、ファッションへの道を決意!
相澤さんがファッションを志したのは、小学生の頃。「ヴィヴィアン・ウエストウッドのショーをテレビで見て、デザイナーになろう!と思いました。中学卒業後には文化へ入学したかったのですが、それはできないので(笑)、まずは地元の高校へ。高校時代は、バンドの衣装を独学で作ったり、ファッションショーを開催したりしました」。そのとき、ショーに足りないものを集めていると、自然にスタイリストの方が、自分に向いていると気が付いたそう。そこで迷うことなく、文化のスタイリスト科へ入学。文化時代はショーのフィッターを手伝う課外授業で担当者に仕事ぶりを気に入られ、ショースタイリストのアルバイトをスタート。卒業時には、ずっと憧れていたスタイリスト・飯嶋久美子さんに履歴書を送るが結果はNG。しかし、その個性とショースタイリストの経験を認められ、結果は取り消されて見事アシスタントにつくことになる。
若くして独立した不安をパワーに変えて
アシスタント時代は毎日が楽しかったという。「師匠のおかげで日々、いろいろなプロの人に会える。人が大好きなので、そこから学ぶことは大きかったですね」。アシスタントについて、2年半後には独立することに。「そのとき22歳で、独立するにはまだ若かったので不安だらけでした。でも偶然の出会いや人とのつながりで少しずつ仕事がくるようになりました」。そのうち音楽関係のスタイリング、ショー、雑誌へと活動の幅が広がっていった。「師匠から言われた言葉、"どんな仕事でも、これが最後でもいいという気持ちで仕事をしなさい"ということを一生のテーマとして、日々がんばっています」。
スタイリングは、相手の要求に合わせて柔軟に対応
様々なジャンルのスタイリストとして活躍中だが、媒体によって気を使う部分は異なるそう。「雑誌であればそのテーマの世界観を重視します。タレントさんのスタイリングであれば、人それぞれにある個性を、どう新しく提案をできるかを考えます。またショーのスタイリングであれば、デザイナーがどういうテーマでどういうものを作りたいかじっくり話し合います」。前回登場した村松さんのブランド"エヴァーラスティングスプラウト"のショーでは、スタイリングに足りないアイテムをリクエストして作ってもらうこともあるそう。そこからコラボ商品として誕生したアイテムが、現在販売中というからこちらも見逃せない。
ジャンルの壁を越えて、活動の幅を広げていく試み
独立してちょうど5年目の節目となる今年、12月上旬には本が発売されることとなる。「"Rebon Bon"(祥伝社刊)というタイトルで、リボンを使ったスタイリングを見せると共に、作り方解説もついた本です。本の構成もすべて考えました」。また、"Tu es mon TRESOR(トレゾア)"というブランドも立ち上げ、初の展示会も開催する。スタイリストの枠を超えて、ファッションをとことん楽しみ、次々と新しいことにチャレンジしていく相澤さんに学生へのメッセージを伺った。「自分の足で歩いて、自分で本物を見るようにしたら、きっと世界は広がっていくと思います。東京にいるなら美術館でもなんでも、いいものを見る機会はいっぱいあります。思っているだけでなく、行動するのが大事ですね」。
【参照元】文化服装学院HP Next