アシスタントディレクター
株式会社アートワークス JOYRICH
話題のLAブランドをディレクション
Freedom、Hope、Dream、Loveをコンセプトに、ポップでインパクトのあるアイテムを世に送り出しているLAブランド・ジョイリッチ。この9月には大阪と東京に新店舗がオープンし、おしゃれに敏感な人たちを中心に厚い支持を得ている。山田さんの担当業務は、日本の直営店のディレクションや、日本で独自に展開するアイテムの企画、提案。LAのスタッフとメールやスカイプ(インターネット電話)でコンタクトを取りながら、ブランドを日本に広く浸透させるために奔走している。「ブランドの知名度が上がってきた今、コレクションを発表するごとに大きな反響があります。正直プレッシャーを感じることもありますが、長谷川さん(vol.40に登場)の所属するギズモビーズとのコラボレーションで作成したiPhoneケースなど、ブランド戦略について考えるのは面白くやりがいがあります」
ブランド運営にまつわる幅広い業務を経験
仕事について生き生きと語る山田さんだが、今日に至るまでは実は苦難の道のりがあった。文化卒業後はメンズブランドのデザイナーとして、マーチャンダイザー(MD)の指示のもと企画や生産管理、PRツールのグラフィックデザインなど幅広い業務に3年間携わる。でも、山田さんが目指していたのはあくまでもMD。自分の仕事にどこか迷いがあったという。「そんなとき、文化の友人の会社でMDを募集しているという話を聞き、思い切って転職することにしました」こうしてめでたくMDとなった山田さんだが、間もなくリーマンショックが起こり世の中は深刻な不況に。業務縮小の流れから、職を失ってしまう。「何十社と履歴書を送り面接を受けまくりましたが、なかなか話がまとまらず、そのうち貯金も底をつき、実家に戻るという苦渋の決断を迫られました」
苦しい経験が自分を成長させてくれた
実家に戻った山田さんは、家業を手伝いながら将来のキャリアや人生について考える日々を送った。「今振り返ってみると、一旦アパレル業界から離れ、初心に戻って自分の将来を考えたことは意味のあることでした。ほかの仕事をやってみて『やっぱり洋服に携わる仕事がしたい』と思いましたし、ブランドの一部だけでなく、トータルで見られる仕事に就きたいという目標もはっきりしました」また実家で過ごした時間は、スキルアップのチャンスも与えてくれた。「ビジネスマナーの本を読んだり、MCAS(マイクロソフト認定アプリケーションスペシャリスト)の資格を取得したりしました。あとイラストを描くのも好きだったので、イラストレーターやフォトショップの知識を深めたりもしました。社会人になってから改めて、腰を据えて勉強ができたことは貴重だったと思います」
追い詰められて掴んだ大きなチャンス
実家に戻って半年、山田さんは文化の友人からルームシェアの誘いを受け再び東京へ。数名と共同生活をしながら、就職活動を開始することにした。そして、チャンスは思ってもみないところから訪れる。「ルームシェアのメンバーに文化の先輩がいて、今の会社で人を探していることを教えてくれたんです。自分はけっこう思い悩むタイプですが、話を聞いた瞬間『やります!』と答えていました。といっても、合格する自信があったわけではなく、面接では自分の思いを一方的に喋って今の上司と社長に引かれてしまいましたが(笑)、自分が『これだ』と確信したことには不思議と縁があるんです」その言葉通り、山田さんは見事面接をパスしアパレル業界にカムバックを果たす。「現在も雇用状況はすごく厳しいですが、もし就職・転職活動で悩んでいる人がいたら『その経験は無駄ではないよ』と言ってあげたいです」
知識や経験を結果に残していきたい
人気ブランドに携わる立場として、時間に追われる山田さん。企画や情報収集は脳の働きが活発な午前中に、工場や外部スタッフとの打ち合わせは午後に行い作業効率を上げるほか、時差のあるロスからのメールチェックをするため始業30分前に出社する努力も怠らない。山田さんは高校の情報処理科に在籍していたこともあり、もともと理系寄り。MDを目指した理由も、論理的思考が必要とされることに魅力を感じたからだそう。また、文化時代は学友会(生徒会)の副委員長を経験。学生時代から、全体を統括する役割として経験を積んでいたようだ。「これまで遠回りもしましたが、自分が得た知識や経験をジョイリッチというブランドで結実させたいと思っています。今後はジョイリッチをファッションだけでないライフスタイルブランドにするために、さまざまな試みを行っていきたいです」
【参照元】文化服装学院HP Next