2018年卒業
乗務社員
国際自動車株式会社
他人の個性を尊重しながら、自分の個性を主張することを学んだ。
高校時代の私
自分の好みを上手く話せなかった高校時代、周囲の意見に合わせてその場凌ぎで過ごしていた。
私は小学校で両親に伴われて茶道と書道の教室に通って以来、そのまま文化系として育ち、中学校では美術部に入りました。高校でも美術は続けていて、自分の絵をインターネット上で発表して評価されたのが、その後の価値観を変えるほどうれしかったのを覚えています。高校時代は、もともとの内気な性格からなかなか友達を作れず、周囲に言われるがまま、流されるがままにその場凌ぎで過ごしていました。高3の進路選択では、美術部だったこともあり、美術系の大学と専門学校とで迷っていました。実技と学科を勉強して大学に行くか、初心者でも通える専門学校に行くか決断を迫られたのですが、予備校に通ったりと、準備が多い大学は辞め、専門学校を選びました。その後、いくつかの専門学校を見学したのですが、両親の勧めもありプレゼンテーションを売りにしているOCHABIが最も将来の役に立ちそうだということで、OCHABIに入学を決めました。
OCHABIで学んだこと
世間知らずだった私、周囲に圧倒されながらも自分が好きなものを好きと言えるようになった。
自分の周りの世界とインターネット上の知識が全てだった私は、OCHABIに入学してまず先生方の知識量に圧倒されましたが、やがて産官学連携授業を通じて、実地から得る知識の大切さを実感するようになりました。高校までは気にしなかった〆切もチームワークだと守らなければならず、必死の想いで2年間を過ごし、気付けば物事の本質とか、デザインの意図だとかを考えるクセが付いていました。やがて最終学年になり、両親の期待と自分の希望を叶えるべく就職活動に挑んだのですが、面接で自己PRを繰り返す度に、デザインではない、自分が好きな物事とのギャップに気付き、自分の売り出し方がわからなくなり混乱しました。そのまま卒業間際まで内定は決まらず、キャリアデザインの先生に「実は車の運転が大好きで、車に関する接客業に興味があり、レンタカーのアルバイトもしている」と話したら、それならとタクシー業界を勧められ、初めは衝撃を受けましたが、自分が好きなものを好きだと言えることこそがOCHABIでの学びなんだと気付きました。
現在の私
ゼロからはじめてプロになる®。初心に戻って自分が本当にやりたい仕事を見つけることができた。
現在は、国際自動車株式会社で乗務社員をしています。つまりはタクシードライバーです。卒業後、実は半年間、不動産会社で事務職を務めながら、CI関連のデザインなどをして気持ちを整理していたのですが、やはり車が好きだという気持ちが強くて、改めて女性が働きやすいタクシー会社を調べてみたんです。その結果、新人教育に力を入れていて福利厚生もよく、営業所に女性専用の休憩エリアが常設されている今の会社を見つけることができました。その後、両親にもきちんと自分がやりたいことをプレゼンテーションできて、OCHABIで学んでよかったと改めて思いました。今は1日に30回程度、お客様を目的地までお送りしていますが、街の様子やお客様の話から実地でマーケティングをしているような感覚で楽しみながら働いています。デザイナーになる夢は変わりましたが、今は自分の決断に誇りを持っています。将来はバリキャリ風のお姉さんを目指しつつ、会社のジョブローテーション制度を利用して、営業企画部か総務部で、OCHABIで学んだプランニングを活かしたいと考えています。学生が望む進路を応援してくれるOCHABIの姿勢は素晴らしいと思います。